- 享保10年(1725年)
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歴史の始まり
初代・長野与兵衛忠雅が本家滕屋から独立を許され、現在の千切屋の所在地において分家創業を果たしました。
当時、豪華な着物はまだ一般的ではなく、裃や麻、風呂敷など日常で使われる実用的な品物を扱う商いから始まりました。その確かな品質と信頼を築き、小田原候の御用商人として出入りを許されるなど、名実ともにその地位を確立。江戸の繁栄とともに商いを広げていきました。 - 明治42年(1909年)
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卸問屋として業界初の「呉服新作発表会」を開催
時代が明治へと移り変わり、千切屋は呉服卸問屋としての新たな一歩を踏み出します。
この年、業界で初となる「呉服新作発表会」を開催。当時としては革新的な試みで、着物文化に新たな風を吹き込みました。 - 昭和4年(1929年)
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第1回羽衣選裳会を開催
オリジナル図案を用いた「第1回羽衣選裳会」を開催しました。その源流は明治42年に開催された新柄陳列会と行われたもので、当時、卸問屋の画期的陳列販売として流行の先駆けとなり、話題になったのです。羽衣選裳会は現在も千切屋株式会社最大の催し物となっています。
また同年、販路を広げるべく、千切屋は東京・日本橋に初の支店を開設。第一回羽衣選裳會の案内状 - 昭和5年(1930年)
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「羽衣」を商標登録出願
- 昭和6年(1931年)
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商標「羽衣」登録
昭和6年には正式に「羽衣」が千切屋のオリジナルブランドとして誕生し、その名を全国に広げます。千切屋の高品質な着物を象徴する存在として、羽衣は現在でも多くの方に愛されています。
商標登録の通知書 - 昭和17年(1942年)
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株式会社長野商店を設立
12代目長野誠一郎を社長に迎え、株式会社長野商店が設立されました。専務には森善吉 が就任し二人三脚で千切屋の基盤を築いていきます。
戦中の厳しい時代にあっても、代表取締役専務として営業移譲された森善吉の手腕とともに、呉服問屋としての知名度を徐々に拡大していきます。 - 昭和19年(1944年)
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千切屋株式会社に社名変更
戦火の影響が広がる中、千切屋は新たな歴史を刻むために社名を「千切屋株式会社」に変更。
「ちきり」とは織機の部具の名称であり、社名には伝統を守る決意が込められています。 - 昭和27年(1952年)
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「羽衣染織美術研究会」が発足
この年、千切屋は「羽衣染織美術研究会」を発足。日本の染織作家たちとの協力体制が強化され、「作家ものの千切屋」としてのブランドが確立しました。
また、同年には日展作家による「第1回日展作家展」も開催。日本工芸会正会員作家を加えながら、この文化は現在に至るまで形を変えて受け継がれています。第一回染織作品展の案内状 - 昭和42年(1967年)
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京都本社ビル新築
- 昭和48年(1973年)
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代表取締役専務の森善吉逝去
千切屋の基礎を築いた森善吉専務の尽力によって、千切屋は全国にその名を轟かせる企業へと成長しました。
森氏が空席にした専務職は、彼の功績を讃えて現在も埋められることなく残されています。森善吉氏 - 平成3年(1991年)
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東京店新築
- 令和2年(2020年)
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本社新社屋完成
- 未来へ
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300年の歴史と未来を紡ぐ、本物へのこだわり
300年の歴史を歩んできた千切屋。その歴史の中で培われた信頼と実績を礎に、伝統を守りながらも新しい価値を創造していきます。
本物へのこだわりを胸に、これからも着物文化の未来を照らし続けてまいります。